Imagine

blog by M.Maeda

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息も出来ない

息もできない。

韓国の映画です。
「息もできない」という一言に、なんかすべてが表現されている気がする。辛くて、愛にあふれている、だからこそ苦しい。笑っている、救いはないけれど。

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 家の近くでも桜が咲いていて、ああそうだ、桜祭りはなくなったんだったと思った。
桜祭りなんてしなくても、たとえ私が今死んでも、今年も、来年も、10年後もその先もずっと、桜は咲くんだと思った。それは悲しいとか怖いとか、そういう感覚じゃなくて、最近はただ、世界はそういうものなんだということがスッっと体にしみ込んできて、何故だか涙が出る。


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心が震えるもの

夜になると、「死」がいつかは自分の身にも現実に起こることを思い出し、恐怖することがある。
一人きり、底なしの暗黒にゆっくりと、永遠に落ちていくイメージ。血の色を失い、やがて炎に焼きつくされる自分の死体。


人間とか、世界とかを思う。特に震災以降。
辛い、理不尽、苦しい。いつかはこの脳はゼロにもどり、私の家族は私のことを覚えていてくれるかもしれないけれど、そのうち私が存在したことなど誰も知らない世界になる。すべてが刹那。生き物は子孫を残すために生きるのに、人間は自分の死後地球がいくら放射能で汚染されようとも、刹那のよりよい生活のために訳知り顔で「現実的に原発は必要」という。土地と海を汚染し、ゆっくりと生態系すべてを壊していくであろう、取り返しのつかないことをしてもなお。

過去から学ぶ、など、あり得ないんだと思う。そうやって太古から人間は繰り返してきたんだろう。
「生きていればきっと良いことがある」とか、そういう言葉がすべて、白々しいごまかしの言葉に思える。

つらつらと考えていると、問い続ける作業、が何かを表現しようとする人間には必要なんだと思う。
小説でも、音楽でも、そして写真でも、表面をなぞっただけのものじゃなく、心が震えるものは何かを表現する、覚悟のようなものがひしひしと伝わってくるもの。

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まだまだ寒いけれど、少しずつ、少しずつ、暖かくなってきている気がする。それだけで、なんか涙が出るほど嬉しい。同じくらい、凍える冬も愛おしいのだけれど。
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精神

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紀伊國屋書店
¥ 3,559
(2010-07-24)
コメント:精神病院の観察映画

 本当にちょっとしたきっかけ。たった一滴の水がコップから水があふれさせるかのように。

作品のなかで精神を患う「当事者」のおじいさんが言っていた。
「当事者と健常者の線引きを、健常者のほうからしてしまうこともあれば、当事者のほうからしてしまうこともある。けれど、100%完璧な健常者などいない。みんなどこかに欠けた部分を持っていて、お互いにそれを補っていければいいと思うんだ。」
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人が生きること


人生は美しい、愛でられるべきものという幻想が、人を鬱にするんじゃないかと思う。
人生で美しい部分なんて、あって1%位だ。あとは醜い、辛い、憎い繰り返しの毎日。

明日も、明後日も、何年も、何十年も、日々のつらさを消化していくと、知っている。 人間の、欲にまみれた醜さよ。「幸せ」という言葉を初めて使った人が憎い。このことばがなければ不幸せなどなかったのに。正体不明の言葉を創造してしまったが故に、それに縛られているのだ。

「自分は幸せじゃない。ということは不幸せなんだ」 と落ち込む。
「妻がいて子供がいる、幸せじゃないか」 と自分に言い、また毎日醜悪な日常の連なりに耐える。

これは悲劇だ。同時に喜劇。
人間に生まれるだなんて、前世でよほど悪いことをしたに違いない。許されるまで生は続く。

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祖母

祖母の写真を撮りはじめた。
10年ほど前祖父を亡くし、90を超え、痴呆がはじまった祖母。

介護が必要である祖母のため、母は仕事から帰るとすぐ夕飯の支度をし、祖母の家に行く。
夜も祖母の家に泊まりに行き、早朝帰宅し我が家の朝食の準備をする。


先週、祖母は肺炎になり、入院した。
半分追い出される形で退院し、3日間ほど寝たきりだった祖母の足腰は格段に弱っていた。



「死にたい。死に方がわかりません。」
「さようなら」

メモが机にあった。







おばあちゃん。
いろいろなことが思い出されて、どうしていいかわからなくなる。
でも、記録しておこうと思った。いつこの世界が、おばあちゃんのいないものになってしまうか、わからないから。

あまりにも大切なものであふれていて、悲しくなる。

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写らなかった戦後 ヒロシマの嘘

福島 菊次郎
現代人文社
¥ 1,995
(2003-07)
コメント:衝撃作。

 孤高のフォトジャーナリスト、福島菊次郎さんが見た原爆投下後の広島に生きる人びとのストーリー。被写体一人一人との関わりが、濃密すぎる程濃密で、だからこそ刺さる写真たち。その一つ一つのストーリを読むたびに、そんな人生があったと知ることがすごく苦しい。福島さんも被写体も、どこにも逃げ道をつくらない。刺し違える覚悟で正面から向き合っていることが、伝わってくる。
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27年間

 
私の生まれる前から、瀬戸内海に浮かぶ祝島の方々は上関にできる予定の原発に反対しつづけています。

毎週日曜に行うデモは1400回を超えました。

原発は核の平和利用と宣伝されていますが、もともとは1943年にアメリカが日本に落とすための原爆をつくりはじめ、それから派生して生まれた技術です。原発で働いていた方にお話を聞く機会もありましたが、原発があれば確実に放射能は漏れます。最終的には人間が作業をするもになので、ミスは必ず生じます。チェルノブイリの事故も人間を過信して起きた事故ですが、沢山の村が放射能で汚染されて生き物が住めなくなり、なくなりました。今もチェルノブイリ原発の事故炉からは放射能がでつづけています。

原発は事故がなくとも、海や空気中に放射能を放出しつづけます。また、火力や水力発電の場合稼働率を調整できますが、原発は調節できないため、常にフル稼働しています。逆にいうと、日本の電力の3分の1は原子力と言われていたとしても、他の火力や水力発電の稼働率を上げれば、原発がなくても電力はまかなえる可能性があるし、まして新しい原発などつくる必要はありません。

一日中放出される放射能は、食べ物や埃を汚染し、体内に入ります。これが内部被曝で、ゆるやかに生き物の染色体を破壊し、癌や白血病のリスクを高めます。現に原発の周辺地域は癌が多いという統計がでています。関係性がわかりずらいですが、確実に癌に一生なることのなかった人が癌を発病しているのです。

今、中国電力は上関原発予定地、田ノ浦というめちゃめちゃきれいな海を埋め立てようと、埋め立て予定地に浮かべるブイを運ぶため、山口の田名埠頭というところに台船をつけようとしています。10日から作業する予定でしたが、毎日日の出とともに祝島の方々は船で田名埠頭まできて、ブイを運ばせないためにバリケードをはっています。4時ごろに作業をあきらめて中電が帰ると、島へかえっていきます。島民の平均年齢は70歳を超えていますが、ほんとうにたくさんの方々が毎日毎日田名埠頭で、いままで島を育んできた自然をまもるために、闘っています。27年間、反対派賛成派で意見がわかれ、人間関係が島のなかでこわれてしまったり、中電が暴力団を送り込んできたり、盗聴されている反対派メンバーもいて、私はほんとうに島の一部しかみていないけど、いろんな思いをしてきた人たちです。
反対派のリーダー的な方で山戸さんとう方がいらっしゃいますが、「私達は、びわをとったり、魚を釣ったり、そういう普通の生活がしたい。だから今日も田名へ行くんです」とおっしゃっていたのが、すごく印象に残っています。


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ストップ上関原発 http://stop-kaminoseki.net/
上関原発 最新情報 http://new-k.livedoor.biz/


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もの食う人々

 クロアチアの、無人になった村でたった一人で暮らす老婆の話が、ふとした時に思い出される。

ユーゴスラビア連合軍による攻撃で死んでしまった夫、義理の息子の記憶。村にいたセルビア人と「鎖でつながったみたいに」仲良く暮らした記憶。今もセルビア人武装勢力の攻撃があり、村人はみんな疎開した。幸せだった記憶と圧倒的な孤独のなかで、著者が次の日も来てくれることを期待しながらレザンツェをつくる老婆の話。


その他、ダッカの残飯、人肉、ジュゴンの歯の粉末、チェルノブイリの食卓・・・ものを食う、という生き物としての最も基本的な行為から「人間」を見る。
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